神社と神宮の違いとは?古事記が伝える日本最古の神宮「石上神宮」
はじまりの奈良
初代神武天皇が宮を造られ、日本建国の地とされている奈良県。連載《はじまりの奈良》では、日本のはじまりとも言える奈良にゆかりのものや日本文化について、その専門家に話を聞いていきます。今回は、『古事記』にも登場する最古の神宮「石上神宮(いそのかみじんぐう)」について、神社と神宮の違いもふまえて、同神宮の権禰宜・道上昌幸さんに話を伺いました。
近鉄、JR各線の天理駅より徒歩で向かうならば、半時間ほどかかるだろうか。龍王山の西のふもと、布留山の北西麓の高台にあり、坂道を上っていくと、石上神宮の境内にたどり着く。境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた雰囲気から、その長い歴史を感じられるだろう。
奈良観光においては、メジャーなスポットではないが、この石上神宮こそ、日本最古の神宮といわれる。神宮のはじまりである。そもそも、神宮と神社の違いをご存じだろうか。
神宮の「宮」とは、建物のことを指す。古代の神社には、杜だけがあり、建物がなかった。つまり建物を備えて、神さまを祀っていたところを神宮と呼ぶのである。石上神宮には、御神宝を納める蔵があり、その蔵を「天神庫」という。ここには、大和朝廷の神宝など、かつては大量の宝物が収められていたという。
現在、全国にある神宮は24社。そのうち、皇室の祖神を祀るのが6社、歴代天皇を祀っているのが12社、皇室に関係の深い祭神を祀るのが6社ある。
では、石上神宮が日本最古といわれるのは、なぜかというと、古事記に登場する神宮というのが、伊勢大神宮と石上神宮のふたつだけなのである。ちなみに、日本書紀には、伊勢神宮、石上神宮、出雲大神宮が登場する(出雲大神宮は、出雲大社のこと)。
石上神宮のはじまりは、第十代崇神天皇7年のこと。宮中に祀っていた神剣韴霊と十種神宝を、天皇の勅により、大和国山辺郡石上邑に遷したのが、はじまりとされている。ちなみに、伊勢神宮は、第十一代垂仁天皇の時代にご鎮座になられたということで、石上神宮のほうが古いというわけ。
「本来、神社のご神体というのはわからないものですが、石上神宮には、確たるものがあるのです」というのは、同神宮の権禰宜を務める道上昌幸さん。
ご神体として祀っているのは、神剣韴霊、天璽十種瑞宝、布都斯魂剣である。神剣韴霊は、神武天皇の東征の際、熊野山中で倒れられていたときに、天から授けられた剣であり、また、天璽十種瑞宝は、鎮魂の儀式に使用する神宝でもある。
鎮魂とは、一般的に死者の魂を鎮めるものともいわれるが、石上神宮では、生きている人の魂を奮い起こす儀式として行われる。この鎮魂の儀式をはじめたのが、物部氏の遠祖である宇摩志麻治命であり、五十瓊敷命、白河天皇、市川臣命とともに、神として祀られている。
また、布都斯魂剣は、須佐之男命(すさのおのみこと)がヤマタノオロチを退治する際に用いられた剣であり、天十握剣や天羽羽斬などの呼び名もある。ちなみに、その際、ヤマタノオロチから出てきた天叢雲剣は、三種の神器として、熱田神宮に祀られている。
こうしたご神体は、2000年以上もの間、神宮の中に埋められていると考えられていた。その場所は、拝殿の後方にあり、瑞垣で囲まれた禁足地として、人の立ち入りを阻むことで、伝説となっていた。
しかし、明治7年に、菅政友大宮司により発掘が行われ、勾玉や鏡などと一緒に、神剣韴霊も発見され、伝説ではなく、事実であることが証明された。この禁足地は、神聖な霊域として現在も「布留社」と刻まれた剣先状の石製瑞垣で囲まれ、昔ながらの佇まいを残している。
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cooperation : Masayuki Miura text : Tatsuya Ogake
2019年9月号 特集「夢のニッポンのりもの旅。」